●12歳の頃、一度ドラムに憧れるが、13歳よりフレンチホルンを始め、後にトランペットに転向。クラシック畑でスパルタ式の音楽教育を受け、一時は音大を目指すも14才でロックに目覚めドラムに転向。
16歳でハードロックバンドJUSTICEのドラマーとしてデビュー。 楽器屋のイメージキャラクターとしてPlayerマガジン、ロッキンf誌等に掲載される。
「これ以上ここで学ぶものはない」と、高校を1年で自主卒業。
17歳で演歌歌手のバックバンドでプロとしての活動をスタート。
21歳まで大手音楽事務所の所属アーティストとして、バックバンド、ハウスバンド、レコーディング、ツアーサポートで活動後、渡米しセッション活動を行う。
帰国後、芸能事務所専属ドラマーを経てフリーとなり、 ベーシスト Willoughby Spitt、ギタリストNikki Hillsらと共に、都内のライブバー等で活動。
その他、Jimmy桜井、ジョージ吾妻、Michael Leicht等、数々のセッション、スタジオ・ワーク、
ツアーサポートをこなす傍、伝説のバンド「LISZT」をはじめFLAME、REALIZE、EXcellent~Destiny、La-Vie等のサポートやチューダー音楽院のドラム科客員講師として活動。
ヤマハのレコーダー「AW16G」のデータCD「Real Beats Tracks」の生ドラムループ演奏を手掛けたのをきっかけにヤマハドラムのモニターとなる。
PLAYWOODパーカッション&ドラムスティックのモニターとして、自身のドラムスティックや光るスティックをプロデュース。
2007年に、Zildjianシンバル(米国)とエンドース契約。
俳優の杉本哲太率いる『紅麗威甦』の復活ライブにサポートドラマーとして参加。
野口五郎のプロデュースにより『Welsh BluesCP』で活動する傍、元横浜銀蝿一家の矢吹薫、俳優の
森一馬(BLACK SATAN)、紅麗威甦のMITZとLEERで結成されたバンド『抱きしめたい☆』や 、
自称「バラエティー・ドラマー」
(本文中敬称略)