「バカと太鼓の日々」

19XX年XX月XX日に生まれた俺はすでにRockerだった。
生まれた瞬間にシャウトしたらしい。「オギャァ〜!」と。

おふくろの腹の中にいるときから心臓の鼓動をメトロノーム変わりにストロークの練習をしていた俺。
1歳ですでにドラムを叩き始め、2歳でタップダンスを覚え、4歳の頃にはすでに大人に交じってジャズをプレイしていた.... 
なんていう 米国の某有名ドラマーみたいなことはあるわけもなく、ドラムはドラムでも、ただの「どらむすこ」だった。

「ドラムが俺を呼んでいる?」

幼稚園の発表会でパーカッション(鈴だけ)を担当したこともあるが 楽器には無縁だった。

小学校の頃は洋楽ばかり聴いていた。
音楽を聴いていると、なぜかドラムのサウンドに耳がいったりしった。
その頃からドラムふが俺を呼んできたのかもしれない。
しかし、そこからドラムにたどり着くまでが長かった。 
ドラムが気になっていたにもかかわらず、「カッコいいから」という理由でトランペットをやりたくなり。
小学校の鼓笛隊のオーディション(なまいきにもオーディションがあった)を受けて合格。しかし、1回目の練習からサボり、それきり。 
俺のミュージシャン人生は終わろうとしていた。(まだ、なにもやってないっつ〜の!)

「ドラムは俺を呼んでいなかった? 〜激動の中学時代〜

 中学に入ると、やっぱりドラムがやりたいと思った。理由は、純粋に「カッコいいから」である。
けして女の子にモテたいとかそういう不純な理由ではない。第一、モテたいならギターかヴォーカルをやっとるわい。
で、第一志望のサッカー部を断わりブラバンに入部。
しかし、入部第1日目に、練習台でトコトコやっているところをトロンボーンパートの先輩に強引にひっぱられトロンボーンをやらされる。 
そして、その翌日「歯並びが良い」という理由でフレンチ・ホルンに転向させられ、結局1年間ホルンをやることになってしまった。 
でも、ホルンがちょっと気に入って一生懸命練習したのさ。 基本的に音楽が好きで、楽器ならなんでも好きだからね。 
その頃、先輩のスパルタ教育により読譜をマスター。(これは後々仕事で役にたつことになる)
そして中学1年生の終わり頃、「やっぱりトランペットがいいな〜」と思い、小学校の鼓笛隊の顧問の先生に頼み、いらなくなったオンボロトランペットを貰ってこっそり練習を始める。俺の中学のブラバンはコンクールで全国大会に出るくらいのレベルで、授業前、放課後、夏休みも返上して毎日練習をしていたので(練習がなかったのは盆と正月くらいだった)他の楽器に手を出してはいけなかったから、こっそり練習するしかなかったのだ。 
しかし、2年生になってから顧問の先生(クラリネットでソロ・リサイタルを開くような人だった)が教え子に手を出して逮捕。
そして、後任の素人同然の新しい顧問に引き継がれたブラバンは落ちぶれていった。
俺は愛想をつかして退部。そして独学でトランペットを練習。 まあ、ホルンが吹ければトランペットも結構簡単に吹けるんだけど。 

「やっぱドラムしかない!」

 その後、俺は転校をしたのだが、転校先の中学のブラバンでは勝手に首席トランペッターになった。
俺の親父もなかなかの理解者で、銀座のヤマハで18万円のトランペットを買ってくれた。
目標はすでに「音大を卒業してNHK交響楽団のトランペッター」であった。(なぜN響だったのかは定かでない
親父には感謝してる。出世払いで返そうと思っているが、まだ出世してないので返してない(爆)。

こんな泣ける話もある。
当時付き合っていた(といっても中学生なのでたいそうなものではない)後輩の女の子(お嬢様だった)の家に招待された時、"お母様"にいきなり「あなたは将来なにになりたいの?」と聞かれ、胸を張って「プロのトランペッターです」と答えたら、その後彼女に二度と会わせてくれなくなり、初めてミュージシャンの厳しさを知ったのだ。
おいおい!まだ中学生だぞ。お見合いじゃねぇんだから! これを機にプロへの決意を新たにするのであった。(ちょっと大げさ)
(S.K.さん、元気かな?)

 中学時代の音楽のテストは筆記も実技も完璧だった。 
でも、なぜか通信簿は『3』(5段階中)。 授業態度が悪かったらしい(かなり)。
 まあ、なんだかんだで 新しい中学のブラバンではやりたい放題やらせてもらって、そのときに初めて本物のドラムセットに触れる事となる。(前のブラバンは厳しくて、なかなか他の楽器に触らせてくれなかったんだよねー) 
学校のドラムは銀色のPearlのPeace Makerだった。 シンバル1枚しかなくてさ。でも当時はライドシンバルなんて存在を知らなかったもんな。  
その学校のドラムを勝手に叩いたのがドラムセット初体験なんだけど、初めてドラムセットを叩いたとき、いきなりエイトビートが叩けたので「あ〜 俺にはドラムの才能があるのかもしれない」と勘違い。 ブラバンのドラム担当は女の子(Y.A.さん元気かな?)だったんだけど、その瞬間、密かに俺のライバルとなる(笑)
ちょうど同じ頃、クラスメイト(ギタリストJohnew。こいつとは今だにレコーディングバンドをやっている)がギターを買い、バンドを組もうとしているという情報を聞きつけ、「俺、叩けるゼ!」と豪語。 そしてブラバンを退部。 聴く音楽もクラシック系からロックに変わった。(もちろんクラシックも大好きだが)そして親父に頼み込んで 出世払いという約束で5万円位のARIAのドラムセットを買って貰った(これもまだ出世してないので返してない)。 いや〜 親父には感謝してる。

「嵐を呼ぶ男 〜迷惑な奴〜 

 おかげで暴走族に深く足を踏み入れる事もなく音楽生活を満喫した。 そして目標は「NHK交響楽団主席トランペッター」から「プロドラマー」に変わっていた(まったく移り気な俺)。なにせ高校の入試当日まで勉強もせずドラムを叩いていたのだから。 

当時は団地の5階に住んでいたのだが ドラムの練習は部屋で生ドラムを叩いていた(迷惑な奴)。
しかし、苦情は1件もなかった。下の階に住んでいた人も「がんばってね」と応援してくれていたが 今思えば、実はかなり我慢をしていたのであろう。
ゴメンなさい。

 中学の文化祭では、バンドでドラムを叩けるのが俺だけだったので、5バンドかけもちをしていた。
生まれて初めてのドラマーとしてのステージは中学校の文化祭だった。もちろん5バンドすべて俺が叩いた。
オーディエンスは千人くらいいただろうか。 この時に初のドラムソロを披露。わずか10秒のアドリブソロだった。 
「涼く〜ん!」
女性ファン(ただのクラスメイトだろが)の熱い声援が飛び交う。
そんな声援を浴びたのはこれが最初で最後だったな(苦笑)。
最高潮の盛り上がりだった。
演奏は最低だったが...。

バンドの練習は部屋でやるわけにもいかず、しかし中学生なので練習スタジオを借りる金もなく、近所の公民館を借りていた。 
最初、公民館も快く貸してくれていたのだが 公民館利用者からの苦情で出入り禁止になり、別の地区の公民館に移った。そこは防音設備などなかったので今度は近所からの苦情があり、また別の地区の公民館に行き、近所からの苦情がり、また別の地区の公民館に行き...(ハァハァ) その繰り返しで最終的に8つの地区の公民館を追い出された。 結局、一番最初に練習させて貰っていた公民館に頼み込んで なんとかそこに落ち着く事ができた。 ホールや視聴覚室を貸してもらっていたのだが、ドラムやアンプなどはなくすべて持ち込んでいた。運ぶのも大変で 親父が家にいるときは車を出してもらって運べたのだが 親父がいないときは 団地の下に放置されていた乳母車にドラムを載せて運んだりした。乳母車の持ち主から「勝手に使わないで下さい」と俺の親に注意があったらしいが 「だったら雨ざらしにしてねぇで 家の中に保管しておけよ」と その後も利用させてもらった。 いや〜 中学生といえばちょうど反抗期だもんな。

 その後、一戸建に引っ越し。当初は地下にスタジオを作る予定だったが地盤の関係で実現できなかったので とりあえず自室(2階)の雨戸やカーテンを締め切って「これで遠慮なしにドラムが練習できる!(わけないのだが)」と毎日叩きまくっていたときに初めての苦情が...。 
団地にいたときは全然大丈夫だったのに(大丈夫じゃないってーの!)
しかもその苦情というのが、ノートの切れはしに新聞の文字の切り貼りで「ド・ラ・ム・う・る・さ・い」と。 
ポストの中にそれを見つけた俺は逆上し、「文句あるんだったら正々堂々と言ってこいや〜」と雄叫びを上げ、その日のドラムソロはフルパワーで夜半まで繰り広げられた。 
その後、苦情はなかったが、今考えるとよく殺されなかったものだ。 

  

「またもやブラバンを退部! 〜乱れた(?)高校時代〜

 高校に入学すると いきなりブラバンからの誘いが...。 中学のブラバン在籍時に「名トランペッター(?)」として名を馳せていた事もあったので(自意識過剰) その高校のブラバンのトランペットパートが俺を欲しがっていたらしい。 しかし、「もうトランペットはやってないっつ〜の!」と俺はドラムパートを志望し、とりあえず入部。 
入部して第1日目に練習台でトコトコ練習をしていたところに 「キミは もったいないからやっぱりトランペットをやりなさい」と トランペットに引っぱられた(またかよぉ)。 耐えきれなくなった俺は「俺はロックをやるぜ!」と退部。(これで俺はブラバンを4回辞めたことになる)

 校内の1年生でバンドをやっている奴を知らなかったので先輩のバンド(パンクとR&R)を手伝ったりした。 他の高校に進学した中学時代の同級生とも活動を続け、そいつの高校の軽音楽部の発表会に乱入してドラムソロをぶっ叩いた事もあるが、目立ちすぎた。
あまりにも目立ち過ぎたため、先生に目をつけられたらしく、あとで友人が先生に「あいつは誰だ?軽音楽部じゃないだろう?」と言われ困ったらしい。そりゃ困るわ、軽音楽部じゃないどころか他校の生徒だもんね。 
調子にのった俺は、その学校の制服を手に入れ。それを着て堂々と侵入し、勝手に授業を受け、廊下で先生に会うと挨拶までしていたのだから まったく変なやつだ。 
その頃からバンド活動も本格的になってきた。
オリジナルのヘヴィメタルバンドでライヴハウスにも出演するようになっていた。その傍ら、近所のオジさんのビートルズコピーバンドも手伝ったりと大忙しだった。
あまりにもドラムが忙しいため、高校は1年で勝手に卒業した。 余談だが、この頃に初めてのツラい失恋をしたなぁ。(S.G.さん、元気かな?)

怖いものなしだった。 へたくそなくせに自信に満ちあふれていた。 バンド活動も順調で、レコード会社からの誘いもありデビュー直前までいったが、とある事情で断念せざるを得なかった(理由を書くと単行本が1冊できあがってしまうのでここでは省略する)
しかし、そこで知り合った事務所の社長に演歌歌手のバックバンドの仕事を紹介され、ドラマーとして初めてのギャラを手にする。 
藤崎涼17歳。プロ生活のスタートだった。 

「楽しいプロ生活!?」

 ロックばかりやっていた俺だが、中学の時にしごかれたおかげで読譜ができたので、演歌等も初見で叩けた。
初見で叩けるというのが、いい武器になった。
しかし、さぁこれからだ!という時にバンマスが詐欺で逮捕。(お年寄りにCDを作ってあげると持ちかけ、金を持ち逃げしたらしい) アマチュアに逆戻りである。
その後、コンサートスタッフやダフ屋の並び屋(ダフ屋に金を渡されチケット発売日に並んで いい席を取ってくるのである)、レンタルCD屋の店員、音楽事務所の留守番(ここの部長も詐欺で逮捕された)、コンビニ、とにかく数えきれない程のバイトをやった。 もちろん、その間もバンド活動は続けていた。

 19歳のとある日、練習スタジオのはり紙で「ドラムの仕事あります」という、某音楽事務所(それなりに有名なタレントの所属する事務所)の貼り紙を見つけオーディションに行く。 指定されたオーディション会場。そこはキャバレーだった(いわゆるハコバン)。 
オーディションには合格。 とりあえずプロ生活の再スタートである。 
当時はバブル経済最盛期だったので稼がせてもらった。 バンドのギャラよりお客さんからのチップのほうが多いという事もザラだった。 
そこからコネによって、さらに活動範囲を広げ、バックバンド、数々のレコーディング、ドサまわりもしたが楽しかった。 
もちろんイヤなこともあった。バンマスにけなされ、しごかれた。 自分の下手さを思い知らされた。(それまで「俺は上手い」と思いあがっていたからね) 本番中にメトロノームを鳴らされ(ギターアンプからクリック音をドラムに向けて鳴らすのだ!それも本番中にだよ!)それに合わせて叩かされたりもした。 メトロノームと合わないと本番中にもかかわらずバンマス(ベーシスト)がスティックを持って足を叩きに来るのだ。(本番中にだぞー) おかげで一時は、メトロノームがないと不安になる「メトロノーム依存症」になって悩んだ事もあった。 
苦手なのにジャズもやらされた。 もうインチキジャズの世界。 とにかくいろんなジャンルの音楽をプレイした。おかげで今はクラシックから演歌、パンクまでいろんなジャンルの音楽を聴く(いい音楽ならジャンルを問わない)。

 2年間のハコバン生活の後、所属事務所を辞め、ためたお金を持ってアメリカに移住(3ヶ月だけだけどw)。現地ミュージシャン達との交流もいい勉強になった。
この渡米は、俺の人生観を変えた。 そして金を使い果たして帰国。

 その後、フリーのドラマーとして、数々のレコーディングやサポート、ドラム講師(教えるのは苦手よ)、時にはタレントとして映画やCMに出演したり、雑誌のモデルをやったり、ダンサーをやったり(踊りは下手よ)、歌うたったり(歌も下手よ)の、自称「バラエティードラマー」と名乗るようになってしまった俺の活動は 皆さんご存じのとおりだと思うが(知らないって?) ここから先の活動を書くと単行本で上下巻分の内容になってしまうので 続きは出版社から執筆依頼がきたときに書くことにしよう。(こねーよ!)

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 こう振り返ってみると 結構迷惑かけてるなぁ(^^;;; わがまま三昧だし。(今は謙虚です) 逮捕された人も3人いるなぁ。 でも、なにもかもがいい経験になり、いいことも悪いことも糧として吸収してきた。いろいろありましたが(これからもいろいろあるだろうが) 俺ががここまでやってこれたのも 皆様のお陰です。(特にご迷惑をおかけした方々)。 感謝の気持ちで一杯です。
最近、個人事務所も設立しました、ドラムの他にプロデュース業などもやっていこうと思っています。

まだまだこれからの青二才ですが これからもよろしくお願いいたします。


ここまですべて読んだ貴方! 
貴方はよほどのファン
(いるのか?)か、ただの暇な人でしょうから

ついでに「初公開!秘密写真館」でも見て行ってくださいね!